国指定史跡/鳥越城址を見に行こう!
今から約500年前、北陸本願寺教団が確立し、鳥越城、二曲城の攻防までの約一世紀は、壮烈な闘いの日々でした。今回は、その歴史を振り返るジオツアーです。
こちらは、ガイドさんが用意してくれた城山の鳥観図です。舌を突き出したような形がユニークですね
その山頂に築かれたのが鳥越城です。標高312mに位置し、国指定史跡に指定されています。正式名称は 鳥越城跡附二曲城跡(とりごえじょうあとつけたりふとげじょうあと) といいます。
まずは予習しましょう!
鳥越城跡は、白山麓の本願寺門徒が、石山本願寺における織田信長との戦闘の高揚に伴い築城、整備されたものと想定され、城主鈴木出羽守に指導された白山麓本願寺門徒は、南加賀一向一揆において最後まで頑強に抵抗し、天正8年、織田信長配下柴田勝家による落城後、2ヵ年にわたって攻防が繰り広げられ、天正10年3月に掃討されました
歴史に残る「百姓の持ちたる国」を作り上げただけあって、白山ろく門徒は勇猛果敢でした。戦いは熾烈を極め、最後は織田方の佐久間盛政によって一向衆三百人余りが磔に処せられました。
加賀一向一揆の栄光と挫折を最後まで担い続けた、白山ろく門徒たちの記録として、歴史上の意義をもつこのお城、発掘調査では「良好な」建物の遺構が検出され、復元整備もされました。
見どころは、たくさんあります。手取川と大日川に挟まれた頂上からの眺望は絶景で、ここに砦を構えたわけを知ることができます。
では、出発しましょう!
集合場所は、道の駅一向一揆の里 駐車場。
ここからだ登り口まで歩いても10分程度ですが、今日は車で移動です。
車道登り口には、案内板と石碑が建っています。中腹あたりにくると…
小さな祠がありました。
【熊野社】と書かれています。なぜ、北陸に熊野社?
石山合戦で本願寺側で戦っていた紀州雑貨衆鈴木氏(鉄砲傭兵集団)と、城主鈴木出羽守とはつながりがあり、熊野信仰を持ち込んだのでは、と考えられています。
【出丸跡】 は、有事の際の最初の拠点
背後の崖には、堆積した砂礫の表土が見れます。古くは河床であり、この丘陵そのものは隆起した段丘面であることがわかります。
駐車場に着きました。案内板に映し出された独特の配置、【連郭式城郭】というのだそうです。
確かに直線的ですよね、南北(前後)に大きな曲輪を置いて、守りの弱い側面は、腰曲輪(斜面の中腹に配置された小さな曲輪)を置いています♪
他にもこんな特徴があります
- 東に手取川、西に大日川が流れ、その中央部に南北に延びる舌状の山稜にあること
- 頂上は平坦な台地が広がり、東西南北を一望できること
- 北、東、西は急峻な断崖で、攻めにくく守りやすい地形になっていること
- 南方面は越前を望め、北東、北西は越中、越後、金沢方面を望めること
- 尾根筋を巧みに利用した「連郭式城郭」というスタイルであること
では、城跡へ入ってみましょう!
手前の窪みが【あやめが池】と 後三の丸へつづく【空堀】
堀には、水を通す砂の地層と埋め立てられた谷地からの湧き水が絶えず流れ込んできて、水の得難い山城にあっては、深い堀に溜められた水は城内での生活を支えたものと思われます。
【後二の丸】の前の【空堀】
晩秋のせいでしょうか、落ち葉がどこかもの悲しく、でもきれいです♪
【一揆敗れて山河あり】
目を背けたくなるはずなのに視線を外せない…このレリーフの前に来ると胸が熱くなります
この高台が【後三の丸】
血を吸い上げたかと思うくらい、レリーフの傍の紅が映えます
鳥越集落がよく見下ろせます
鳥越城の支城【二曲城跡】が見えます
正面の大きな山ではなく、そこから稜線を左に下っていったところにある平坦な部分が山頂で「一の曲輪」、その右下あたりに「二の曲輪」が望めます(少し赤い部分)
【枡形門】
正面に高い土塁が築かれていて一気に進むことができません。両サイドの石垣は、近江の【穴太衆】の石工集団が築いたものと思われます。この「野面積み」にその跡がみてとれるといいます。
(内側)正面入ると右に直角に曲がり、更に左に直角に曲がる構造で、敵の侵入の勢いを削ぐ形になっています。
そして見上げる【本丸門】
映画のセットのように美しい♪ いや、じっさいここは映画のロケに使われたそうです♪草薙剛・新垣結衣主演の『BALLAD 名もなき恋のうた』観られましたか?これも切ない映画でした…😢
門をくぐると【本丸跡】ここが城山の頂上部です。2種類の柱跡があるのがわかります。
左が基礎を使わない掘立柱跡、これは一向衆の建物跡で、右の礎石があるほうは、織田勢があとから建てたものと考えられています。 正面の土が盛り上がっているところが北の土塁です。
【井戸跡】この井戸は使えたのでしょうか
【腰曲輪】草が鬱蒼として見にくいですが、崖の中腹に築かれていますよ
抜群の眺望の良さ 北西の方向を望む 絶景かな♪絶景かな♪
東側の【土塁】 西側縁をのぞいて、三方に築かれています 本丸門の横には【展望台】
【土塁】の外側に【空堀】と その向こうに【後二の丸】の平坦面
南方向を見る
西側だけは【棚柵】駆け上がってくる敵を狙い撃ち?
【屯舎】本丸を出て南へ歩いていくと右手にあります 休憩できそう♪
【中の丸門】 この門は外に開かれていますね、山道が見えます。とっても気になります♪ 下りていきたい衝動が…(笑)方向的にみると、二曲城との連絡通路だったりして
本丸の周囲には石垣が築かれていて、各曲輪の周りには空堀が彫られていました。それにしてもこれが復元だなんて!素晴らしいと思います ♪
【二の丸】にあった建物跡地 猪が掘り起こした跡がありました。この辺りはツキノワグマも出没していて、警告板が立てられています(コワッ)
最南端の斜面から上がってくる道が見えます
急峻な崖法面(東) ここを登るのは不可能でしょう!
凄惨な戦いの末、滅び去った一揆勢の歴史を偲びます。左に見えるのが手取川です。磔にあった300余名の一向衆の血で赤く染まったと伝えられていますが「一揆敗れて山河あり」…いまはただ穏やかな流れが見えるだけです。
幻の二曲城跡(ふとげじょうあと)
二曲城への登り口近くに来たころ、とうとう雨が降ってきてしまい、トレッキングは中止となりました、残念!
二曲城について、ざっくりいうとこうです。
二曲城跡は、鳥越城跡の大日川対岸に位置し、大日川流域、小松方面の支城として築城された城とされています。しかし、二曲城跡の麓に「殿様屋敷跡」と呼称される二曲城跡と同時代の館跡が確認されていることから、殿様屋敷跡に住した領主が勢力を拡大し白山麓本願寺門徒の長として、鈴木出羽守となったともされています。
二曲城跡は平成16年から21年にかけて発掘調査が実施されており、本丸から五の郭の郭跡における遺構が確認されており、馬蹄形を有する城跡とされています。
こちら、配置図 確かに、馬の蹄の形に見えますね♪
頂上までは20分ほどでいけるそうですが、幻の道でした(苦笑)
ここが【二曲城登り口】
左に見えるのは【御仏水(おぼくすい)】鳥越には、こうした伏流水があちこちに湧き出ています。これもジオの恵みのひとつ♪
【加賀一向一揆の霊碑】
この辺り(出合地区)では、毎年8月に【鳥越一向一揆まつり】が開催されています。鳥越城で織田信長軍と激しい攻防を広げた山内衆の偉業を偲ぶ村民総出のまつりです。
1万本のロウソクを灯【鳥越万灯華(まんとうか)】や花火大会も開催されます。
【任誓之碑】
任誓は二曲村出身の浄土真宗の僧侶、説法が上手で人々から尊敬されていたのですが、その人気の高まりに恐れをなした加賀藩が、拘束し幽閉したため、任誓は獄中で生涯を閉じたということです。
百数十年前に起こった一向一揆で、宗教勢力の恐ろしさを経験していた加賀藩は、この芽を摘み取ったのです。一向一揆の影響はこのように恐怖感をもって生き続けていたことがわかります。
【せせらぎ公園】
山間からの谷川を数多くの石組で囲み、周遊できる遊歩道が整備されています。
見ごろの紅葉が映えてしっとりいい感じの風情でした♪
さいごに【鳥越一向一揆歴史館】です。
史跡のガイダンス施設として設置されました。今日は入りませんでしたが、鳥越城に行く前にここで予習をしていくことをお勧めします。発掘調査による出土品、史跡の歴史的経緯をDVDで紹介していて必聴ものです♪
私が鳥越城に惹かれるのは、ジオ的興味だけではなく、やはり史実が放つ強烈なストーリーのせいだと思います♪ そんな歴史浪漫を追うもよし、城マニアとして訪れるもよし♪
地図・アクセスなど
名称 | 鳥越城跡 |
住所 | 石川県白山市三坂町、出合町 |
電話番号 | 076-254-8020(鳥越一向一揆歴史館) |
駐車場 | 有り |
トイレ | 有り |
アクセス | 白山ICから国道157号線を南へ50分 |
関連リンク | 白山市/鳥越城跡附二曲城跡 |
関連リンク | 鳥越一向一揆歴史館 |
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