白峰に伝わる山村文化~ “焼畑(ヒエナギ)” 一日体験♪

山と雪のエリア 【白山市桑島地区】
白山手取川ジオパーク「水の旅案内人 “pochi”」です。

白峰に伝わる “焼畑” を体験してきました♪

「山を焼く」=火を放つ、という非日常すぎる情景になぜか思い入れがあって、機会があれば見てみたいと思っていました。春先、イベントサイトで偶然見つけたのが、こちら ➡ 白山民族資料館イベント

実際に作業に関わりながら、白山ろく特有の山村文化を体感できるなんて、わくわくします🎵

ところで “焼畑” って?

“焼畑” というのは、森林や草地に火を放ち、焼け跡を畑として農作物を育てる農法です。

白山麓の白峰地区では、昔から「出作り」による “焼畑農業” に依存する山村生活が営まれてきました。公共土木事業や造林業が盛んになった昭和30年代後半以降は、衰退の一途を辿りました。

時代の流れとは云え、何百年も(もしかしたら何千年?)昔から人々の生活と共にあった耕作形態が消えるというのは寂しいものですね。
伝統農法とジオパークのなるほど…な繋がり、考えてみたいと思います。

現場?は、眼下に手取湖(ダム湖)を見下ろす、ゆる斜面(赤谷)。
で、この風景に出逢う♪気持ちイー🎵
昔は大変だった、苦労の連続だった、という情報ばかり入ってたので、ちょっと驚き!
大変は大変なんでしょうけど、ホッと癒されることも多かったんじゃないかなー。

 

指定された服装は、帽子、長靴、手拭い、軍手、と、化繊じゃない長袖シャツ、長ズボンこれは、火を扱うから)火の粉は飛ぶのかな? 汗だくになる?
とにかくどれだけ暑くても肌露出だけは避けたほうがよさそう、で、国道脇の坂道を下りていくと・・

◆ 火入れ

すでに、始まってた!💦

白煙が上り、パチパチと枝が焼ける音がします。広さ、横7~8m×縦20mくらい、斜面の勾配は20度ほどかな。草刈りと樹木の伐採が終わった土の上には、まとめられたシバが4段、置かれていました。火が点けられたのは最上部。

炎は、目に見えてる部分の2倍あるそうです💦
5~6mは離れているんですけど、けっこう熱い!
白峰では別名「ナギ畑」とも云うそうです(ナギは大根のこと)。

◆ 火かき

一段目で焼けた木を、灰を落としながら(転がしながら)二段目の枯枝まで持ってきて火を移します。これを最下段まで繰り返します。ここ数日好天に恵まれたせいで、木がよく乾いていたそうで、順調に燃えてます♪

作業を取り仕切っているのは、昨年まで、白山ろく民俗資料館館長を務めておられた「山口一男」さん。さすが、慣れたようすで火のついたシバと灰を動かします。火と対話しているみたいです♪

◆ いぶり

これが火かきの道具「いぶり」栗の木で作られてるとか
周辺はとにかく熱い(熱波)ので、棒の長さは最低でも2間(3.6m)以上ないとダメということです。このヘッドの部分をときどきバケツの水に浸しながら作業をつづけます。

4段目(最下段)まで来ました。

火かきをさせてもらいました。いぶりの頭が重くて思ったより扱いが難しい💦
そしてメチャメチャ熱かったです。

いぶりには鋼製のものもあって、これも持たせてもらいましたが、とーぜん重い💦

最後の段(シバ)が燃えています。

最後は延焼を止めて

前半終了! きれいに焼けあがりました♪
灰はそれ自体が肥料になり酸性土を中和して微生物の活性化を促進します。

まだくすぶってます。沈下して熱が冷めるまで1時間余り放置

◆ 鍬入れ

昼食後作業再開、横一列に並んで鍬入れ、土を起こします。これが効率良く進めるコツ⁈

◆ 薙刈り

土を起こしてる中から根っこがザクザク出てくるので、ハサミも使っていました✂️

と、ここで不思議現象!
土を起こし始めるとどこからともなく湧き出でる “コバエ” の大群?

なんのために? なぜこの時だけ? 山口さんにもわからないという超常現象⁈(笑)

国道から不法投棄されたゴミ(缶・発泡スチロール・ビニール袋)等もかなり混じってました。これらを丁寧に取り除きます。

◆ 種蒔き準備

<種いろいろ>
一番右のが「稗(ひえ)」これは、最下段に蒔く
それ以外は「粟(あわ)」3種類を上段から中段に蒔く
どれも在来種、守り育てているとのこと

手でもんで種を採る

稗の種

◆ 播種(ハシュ)=種蒔き

蒔きます。厚撒きでないほうが収穫はよいそうです。
なので目印棒を目安に、あまり密にならぬよう

全て撒き終わったら、細かい土をかぶせて土の表面を均します。

完成!美しー🎵 手をかけた成果が感じられます。

天気予報では一両日中に雨が降るらしい、そうなれば、すぐにでも発芽するということです。収穫は秋(10月頃)、黄変した穂先を見るのが愉しみ♪

私たちが立ちあった工程は、以上ですが、じっさいはこの前後にもかなりの労働力が投入されています。

<火入れの前>
5年使って20年~30年休ませるということは、休耕していた間に育った「樹木を伐採する」ところから始めることになります。低木・高木を切り、草を刈り 
「樹々は乾燥させて」「ヤキシバをつくり」「ヤキシバを等間隔に山積みにする」というところまでしてくれたところに、私たちが加わったわけです。

因みに<播種の後>
「除草」 ➡「穂収穫」 ➡「穂乾燥」 ➡「脱穀」と、これも重労働。
に除草は継続作業なので大変な労力を費やしたと思います。あと農具の手入れも怠れないし…そして

こんなに手間をかけて作った作物が、猿や猪の食害にあう!
といったことが、最近の悩みの種だそうで

あと少しで収穫というところで穂先を食べられ、貴重な種の採取ができなかったり、吉野や女原、中宮といった、畑作が盛んだった地域でも、彼らのせいで、耕作を放棄する人が増えてきたと。
獣害は、待ったなしのところに来ている。行政と地域住民が一丸となって対策を講じなければ、と、山口さんは危惧しておられます

◆ 保存と伝承

焼畑は、国土の7割が山間地という日本ならではのジオ事情に叶った農法で、ここ白峰も例外ではありませんでした。水田をつくる耕地がないなら山の斜面を利用するしかない。それは「出作り」という居住形態と一体となって定着していきました。

肥料を買うお金がなくても最低限の生活ができる、これ大きかったと思います。自然の摂理を利用し、土壌の活力が回復するのを待てば、繰り返し使うことができた。大地を汚すこともないし、自給自足の生活をしていたころはそれでよかったのでしょうね。日本人の生活様式として長く続いてきたということは、まさしく「SDGs!」

でも今の時代にはそぐわない。世捨て人ならともかく、焼畑だけで人は生きられないし、山を焼くこと自体、問題がないわけじゃない。

だから “伝える” 

白峰 “伝統の“ 焼畑農法と、山口さんが語るたくさんの “しらみねストーリー” と共に、これからもこの体験会が継続開催され、たくさんの人々と共有できたらすばらしい♪

山口さん、ありがとうございました♪

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