松本砂防(姫川流域)・糸魚川ユネスコジオパーク現場研修♪~2023.12.1

白山手取川ジオパーク「水の旅案内人 “pochi”」です。
12月になりました。2023年度の “他砂防施設研修” は

新潟・長野にまたがる “松本砂防事務所” 管内の砂防施設を回りました♪

砂防の現場は、白山だけではありません。
他砂防を知ることは、白山の砂防を理解することにつながります!

舞台となる「姫川」は、長野県白馬村、小谷村、新潟県糸魚川市を流れ下る一級河川です。国道148号線が沿うように走っていて、バブルの頃はスキー場に行くのによく使っていました♪
(まさかこの地域が、大量の土砂生産地だったとは⁈)

今回の順路です。

①浦川スーパー暗渠砂防堰堤 ➡ ②蒲原沢慰霊碑/葛葉山腹工 ➡ ③中股川砂防堰堤群 ➡ ④フォッサマグナパーク ➡ ⑤フォッサマグナミュージアム
金沢から2時間40分。長いかと思ったらどんでもない!
高速では立山連峰を、糸魚川ICで下りてからは・・

紅葉と粉雪をまとった幻想的な山並み、そして姫川が延々つづいていて全く退屈しませんでした♪
「道の駅 小谷」で小休憩したら、秋が深まる姫川水系の砂防施設巡りに出発!
と、その前に・・今回おじゃまする松本砂防姫川流域>について簡単に触れておきます。

目次

<松本砂防事務所(SABO MATSUMOTO OFFICE)

正式名称:国土交通省 北陸地方整備局 松本砂防事務所 

◆管内区域:梓川流域・高瀬川流域・姫川流域(流域全体で約1,600㎢)
◆常時観測火山:焼岳・新潟焼山・乗鞍岳(3火山)

梓川と高瀬川流域は “信濃川上流水系” で今回はおじゃましません
今回学ばせてもらうのは “姫川水系” の直轄砂防事業です。

<姫川流域>

◆流域面積:691㎢
◆幹線流路延長:46㎞

姫川は、長野県白馬村、小谷村、新潟県糸魚川市の一市三村を流下します。姫川扇状地上には糸魚川市街地、流域内には集落、観光施設等が広がっています。流域内には、重要交通網である国道148号線、JR大糸線が、姫川本川に沿って整備されています。流域の一部は、中部山岳国立公園、上信越高原国立公園に指定される自然環境豊かな地域です。

◎崩壊多発地帯
糸魚川-静岡構造線を境に、東側はフォッサマグナに属し、新第三紀層となっており、地すべり活動が活発。西の北アルプス層は、古生層の古期岩類からなり、脆く崩れやすい。
◎急流河川
平均河床勾配:姫川本川 1/16
◎多雨地帯
年間降水量:姫川上流域 約1,900㍉、下流域 約2,800㍉、年間積雪深 約100㎝

これらの要因により 土砂が生産・流出しやすい自然条件 を持ってしまってます。

① 浦川スーパー暗渠砂防堰堤

道の駅 小谷を出て、姫川を左手に見ながら10分ほど走り小さな橋を渡りました。この下を流れる川がどうやら “浦川” のようです。そしてその先に見えてきたのが、おしゃれな・・メガネ橋⁈

これが “・・スーパー暗渠⁈” と呼ばれる砂防堰堤?

アーチ型の通水部がかわいい “透過型砂防堰堤“ ですね、でもこんな形状のを見たのは初めて!
背景には、風吹岳をはじめ雪化粧した峰々が連なり、うっとりしてしまいます♪

バスを降りると、松本砂防事務所の方々が待っていてくれました。今日一日案内をしてくれます。
ではさっそく近くまで行ってみましょう!
雨交じりになってきましたが平気です♪
足元の泥状の土を見てなんで長靴を持ってくるよう言われたのかがわかりました(苦笑)

暫く行くと案内板がありました。
スーパー暗渠砂防堰堤が造られる要因となった浦川が後ろを流れています。

⇨ 浦川は、日本三大崩壊といわれる稗田山」の崩壊地を抱え、今も大量の土砂を供給しつづけている川

⇨ 稗田山は、明治44年に大崩壊を起こし、姫川を堰き止め、洪水を発生させ、多数の死傷者を出した山
昭和37年、相次ぐ災害に苦しめられてきた姫川流域で直轄砂防事業が始まり、昭和39年以降、浦川でも次々と砂防堰堤が造られ、平成10年には、浦川スーパー暗渠砂防堰堤が完成しました。
この堰堤は、日本初の大暗渠砂防堰堤で、平常時は下流へ土砂を流し、洪水時には土砂を食い止める機能を持っています。
所在地:長野県北安曇郡小谷村
渓流名:姫川水系浦川
施工期間:平成8年~平成9年
構 造:堤高11m/堤長120.4m/天端幅4m/大暗渠=4ヶ所(半径=4m、馬蹄形)
コンクリート大暗渠砂防ダム
主な災害:明治44年8月8日 稗田山大崩壊
到着。堰堤の天端はきちんと舗装された道路でした。
対岸とこちらを行き来できるように、連絡路として活用されているそうです。
よく見ると接岸部分が緩く反り返っている⁈ これは、オーバーフロー対策。そういえば、従来型の堰堤も両袖が一段高く造られてるものが多いですよね。
上流側、この先には「稗田山」があり、砂防堰堤の数は16基にものぼるそうです。
この川が、ひとを呑み込むほどの暴れ川と化すことがあるなんて、今が平和過ぎて信じられません
上流側を側面からみたところ。
砂防堰堤の上を歩くって滅多にできませんが、ここは「橋」のうえを歩いてる気分です♪
この堰堤のいいところまだまだありました!
水生生物が上下流を行き来できたり、
築造コストが従来型より約15%減ったことなどです。
下流側では工事が進行中
右岸側でなにやら不思議な構造物を設置中⁈ 何でしょう・・

これは、“牛枠” といって、水の勢いを減じるために設置されています。

 

“ウシワク” と呼ぶそうです。昔からある伝統的河川工法のひとつで、竹や木材の枠組みの中に石を詰めて(蛇籠デスネ)、杭の代わりにしたそうな・・
現代では見てのとおり、鋼製のものを使うようです。渓岸の浸食を防止したり、流路を変えたり、土石流の勢いを減じたり・・そういえばここは流れが大きくカーブしているところでした。
いいところ一杯の「浦川スーパー暗渠砂防堰堤」でしたが、わたしが気に入ったのはやっぱり「佇まい」この景観に溶け込んだ風情は何度見てもため息が出ますね♪
工事をしているすぐ下流が、姫川との合流点。
そもそも「稗田山崩れ」とはどんなものだったのでしょう
稗田山源頭部上空から浦川下流を望む
(国土交通省松本砂防事務所撮影)
姫川の左支川の浦川上流部で発生した「稗田山崩れ」は、富山県の「鳶崩れ」、静岡県の「大谷崩れ」と並んで、「日本三大崩れ」の一つとされています。
浦川は、上流部に80万~50万年前に噴出した、脆い溶岩が広がっているため、土砂災害が起きやすい川です。この崩落で生じた土石流の堆積物の量は、約1億5,000万㎥(東京ドーム約120杯分)といわれています。
この崩壊斜面、凄くないですか⁈
我が白山で起きた “別当大崩れ“ に匹敵しそうな(それ以上かもしれません)土砂流出量です。
稗田山崩れの想定湛水域と災害遺構位置図
こんな記事もありました。
・・明治45年4月26日、23 時ごろ、大音響を伴い、稗田山は山腹の 4 箇所に大亀裂を生じ、又々大崩を為して押し出したり。押し出しは浦川を塞ぎ、松ヶ峯と云う可なり高き山を乗り越え、来馬まで達した(6km)。(地元新聞掲載文)
明治45年に起こった2度目の崩落のとき、押し出し(土石流?)は、浦川を塞いで松ヶ峰という小高い山を乗り越え、下流にあった来馬地区まで達したとあります。
左側の濃い茶色の山が松ヶ峰。この山を越えていくなんてなんと凄まじいエネルギーだろうと胸が熱くなりました。
そして大崩落は現に今も起こっています。
令和5年5月、走路1.1km、幅120mの規模で再び土石流が発生しました。
「日本でも屈指の荒廃渓流(=浦川)」この有り難くない肩書を払拭することはおそらく永遠にできないでしょう。人と自然とのバランスがこれ以上歪まないよう願いたい! 砂防事業に終わりはありません。
あっというまに時間が来てお昼時です。道の駅 小谷へ戻ってランチタイムです♪
“年月を経て唯一無二の古民家の古木を使用した・・” 内装だそうです。確かに、落ち着きます。
御食事処 “鬼の厨” さんは、羽釜を使ったご飯が “売り” のようですが、ご飯より温かい御蕎麦に引き寄せられ、特製メンチとの単品盛り合わせでお腹を満たしました。美味しかったです♪

② 蒲原沢慰霊碑/葛葉山腹工

次に訪れたのは、車で5分ほど移動した新潟と長野の県境付近。バスを降りるとそこには「慰霊碑」がありました。
1996年12月6日午前10時半過ぎ、国道148号国界橋上流の標高1,300m地点で山腹崩壊型の土石流が発生、付近で工事をしていた作業員が流され14名がなくなりました。
<蒲原沢(カバハラサワ)慰霊碑>は、このとき亡くなられた14名の人々の慰霊と、この災害の記憶を風化させず後世に伝えるために建立されたものです。4,000名を超える方々からの浄財によって建立されました。
<蒲原沢土石流災害の概要>
土石流発生日時:平成8年12月6日(金)10時30分ごろ
土石流発生場所:新潟県糸魚川市平岩地区と長野県北安曇郡小谷村との県境付近

渓流名:姫川水系左支川蒲原沢
崩壊規模:長さ 120m、幅 60m、最大深さ 20m 崩壊土砂量は約 39,000㎥
被害状況:(16日時点、消防庁調べ)
・死者13名、行方不明者1名、負傷者8名(重傷2名、軽傷6名)
・孤立作業員46名は全員救出済
蒲原沢の土石流の災害状況図
<蒲原沢土石流発生のメカニズム>
前年に発生した長野県北部梅雨前線豪雨の際に発生した崩壊によって不安定かつ急勾配であったこと、透水性の高い脆弱な安山岩質溶岩類と難透水層である堅固な砂礫層との境界であったこと。この砂礫層の境界面を地下水となって流動、崩壊地に供給されたことが直接の原因となる。
亡くなったのは、前年の姫川災害の復旧工事にあたっていた作業員の方々でした。まさかこんなことが起こるなんて・・誰もが思ったに違いありません。自然は恐ろしい、自然は優しいだけじゃないことを突き付けられました。
救出作業には陸上自衛隊の各部隊や警察・消防関係建設関係団体・地元消防団・各種団体の救助部隊など延べ24,932人もの人々で行われました。
松本砂防事務所では、この災害を風化させぬよう、2年後の1998年から工事安全対策研究発表会を毎年開催しているそうです。

慰霊碑のある場所からは、蒲原沢の大きな砂防えん堤を見ることができます。
その向こうにアーチとトラスが赤く映える橋、旧国界橋だそうです。美しすぎてモノ悲しくなりますね
自然を穿つ仕事には常に危険が伴います。最悪のことが起ったら自然が悪いのでしょうか?自然に悪意はありません、抗うのはいつも人間です。慰霊碑の前でご冥福を祈りながら、自然の驚異にただただ圧倒される時間でした。
慰霊碑のある敷地内に今日の学びの場が、もうひとつありました。
<葛葉山腹工>です。姫川の左岸にあります。

この写真ですが・・なんだか
真那板山(右)が、包帯巻いた葛葉山(左)を懐きに行ってるように見えませんか(笑)
<真那板山(マナイタヤマ)の山体崩壊>
1502年(文亀元年)に発生した「真那板山大崩落」は大量の土砂で姫川を埋め尽くし、対岸の一難場山の山麓部に衝突。そこに堆積した土砂で生成された台地が現在の葛葉峠です。
真那板山の崩壊で生成された堰止湖
発生年月:文亀元年(1502年)
災害主月:山体崩壊

発生要因:地盤軟弱・温泉作用
流出規模:5000万立法メートル以上(推定値)
実体被害:湯原・来馬間水没(湛水量12億立法メートル以上)
真那板山は、外部作用に弱い蛇紋岩などで構成されているため非常に脆く、平成7年に発生した梅雨前線豪雨時には渓岸侵食により約12万㎥もの土砂が流出、姫川温泉周辺では河床が最大で約10m上昇し、溢水や土砂・洪水氾濫により国道やJRの路線などに甚大な被害を招きました。
葛葉山では、河岸を保護し、法面崩壊を抑制する護岸工山腹工を実施、渓岸と河床の安定を図る大規模な整備が行われました。主な工法はアンカー付法枠工モルタル吹付工となっており、特に前者の工法は法面保護を兼ねた法枠をグラウンドアンカーの受圧板とし、その引張力により斜面の崩壊を阻止しています。
国道やJRにまで被害が及ぶほどの土砂量を抑えるのは並大抵ではないと思います。山腹工もモルタル吹付もよく見かけますが、さすが “糸魚川世界ジオパークのジオサイト!” スケールの大きさに脱帽です(笑)。
私的には、「真那板山」→ 「マナイタヤマ」がその名の響きとともに気になります。崩壊土砂によって姫川が堰き止められ、天然ダムができ、数十年もその状態が続いたというのが興味深かったです。
崩落時期が、1,000年前と500年前だったということは、500年周期である種の地震がくるのか?ということは、もういつ起こってもおかしくない⁈ やめておきましょう、不吉なので💦

③ 中股川砂防堰堤群

だんだんと雲行きが怪しくなってきました。どんどんいきましょう!次は「中股川」です。
<中股川流域の地質>
中俣川および雨飾山・海谷渓谷周辺は凝灰角礫岩という火山灰や礫が固まってできた岩石で地盤が構成されており、非常に脆く崩れやすい特性であるといえます。
そしてこの岩盤の裂け目をマグマ(溶岩)が貫入し、露頭を形成したものが中股川第3号砂防堰堤と中股川第2砂防堰堤の間、中股川の左岸に見られます。
<ジオ(石)のウンチク>
マグマが火山から噴出し、急速に冷えて固まった岩石が火山岩、マグマが地下の奥深いところでゆっくりと冷えて固まった岩石が深成岩となります。
マグマにも種類があり、その主成分である二酸化ケイ素(SiO2)の含有量により玄武岩質マグマ・安山岩質マグマ・デイサイト(花崗閃緑岩)質マグマ・流紋岩質マグマに分類され、これらのマグマ由来により生成されたものが玄武岩・安山岩・デイサイト(花崗閃緑岩)・流紋岩になります。火山岩の主なものとしては、玄武岩・安山岩・流紋岩などがあり、また深成岩の代表例としては、斑レイ岩・閃緑岩・花崗岩などが上げられます。
この露岩は中新世以降に貫入した無斑晶質安山岩で構成されており、稀に見る速さで冷えて固まったことにより斑晶がはっきりせず、また冷える際にマグマの体積が少しだけ小さく縮むことにより柱状節理が作られ、それが何らかの外力により大きく褶曲し逆層状になったものが見られます。このことから非常に脆い岩石であるということがわかります。(☝資料にあった写真と説明を拝借しました<(_ _)>)
長い前置きでしたが、ここもとても脆くて危険なゾーンであることがわかりました。
いよいよ砂防堰堤に突撃します。
標高が高くなってきたのか、周囲が雪景色になってきました。気温も低いです。今、左側を流れているのが「根知川」で、これが流れる根知谷は、日本百名山のひとつ「雨飾山」に源を発しています。
マイクロバスは、雪道大丈夫なのだろうか、と少し不安になりながら揺られているとほどなく停車、私たち特派員はそこから徒歩で目的地まで歩くことになりました。いつのまにか根知川から分岐した中股川沿いを走っていたようです。
暫くすると、砂防堰堤が見えてきました。表示板のフォントが可愛いくて思わずニヤリ♪
“堰堤” ではなく、<中股川第1号砂防“ダム”>と書かれていました。
所在地:長野県北安曇郡小谷村
渓流名:姫川水系根知川左支流中股川
施工期間:昭和63年9月着工~平成7年12月竣工
構 造:堤高14.05m/堤長140.56m 重力式コンクリートブロック積み砂防堰堤
この堰堤は、松本砂防事務所管内では初となるコンクリートブロック積み砂防堰堤です。
昭和57年の台風18号による災害を契機に中股川の直轄砂防事業として最初に着手されました。(
その後、第2号、第3号砂防堰堤も整備される)。
平成7年7月の梅雨前線豪雨の際には、上部から流出した約4万㎥の土砂を捕え、下流域への被害を防止したそうです。
第一印象は、年季が入ってるな、という感じ。周囲だけではなく、川の中にも樹林ができていて、なんと安定した川だろうと思いました。上流につくられた第二・第三の砂防堰堤との相乗効果なのだろうと思いました。できることならそちらも見て見たかったですが・・むりでした💦
緑化が進んでいて全体を見ることはできませんでしたが、最上段はブロック積みの大きなL字袖を持っているそうです。
気温が上がらず、お日さまも出ずで、ホントかなり寒くなりました。皆、下りは足早にバスに戻ります。
時間は14時を過ぎていました。決して遅れているわけではないのですが、今日のスケジュールはかなりタイトで💦 でも糸魚川にきてここに立ち寄らない手はありませんよね

④ フォッサマグナパーク

フォッサマグナパークは、糸魚川-静岡構造線の断層などを見学できる公園です。

根知川を下ってくる途中(姫川との合流地点手前)に、この「大きな溝」があらわれます!
以前訪れたことがあり、大地の営みと深さ、そのスケールの大きさをガッツリ感じたのを覚えています。
駐車場を出て少し歩くと小さな「碑」がありました。これが目に留まらないほど背景の露頭が奇異すぎる!
<枕状溶岩> といって、ホント、枕が積み重なったような岩が見えています。約1,400万年前の海底でできた溶岩だそうです。
ソーセージ状に重なって流れてきた溶岩が冷えて固まると断面がこんな風になるんですね、おもしろい!(大地の盛上りと川の流れに削られて“輪切り” されたものだそうです)
海底火山の噴火でできた石というと、白山市では、緑石凝灰岩(グリーンタフ)が思いだされますが・・♪
昔々、ここは海の底だったんだと思うと不思議な感じがします。
遊歩道を歩いていると遠方に目を惹く山の姿が・・テーブルマウンテン⁈
(海谷) 駒ヶ岳(1,487m)というらしい
海川と根知川に挟まれた「海谷山塊」西稜の一峰。頂上付近には美しいブナの原生林やミズバショウも見られる。西面と南面の山腹は、安山岩の断崖絶壁を誇示する巨大な岩山、云々と・・いうことでこれは興味深い御山に出逢えたかな(根知川の源、雨飾山とともに要チェック山決定!)
断層の “はぎとり展示” にびっくり!
そうそう思い出しました!実際に露頭の前に行くとこんな風に色・質の違いがわかるんです。
黒っぽいのは、約3億年前の西日本の古い岩石、茶色っぽいのは、1,600万年前の東日本の新しい岩石(古い岩石の溝に新しい地層がたまったもの)見ても触れても心愉しい♪
案内板がありました。「断層破砕帯」というワードに心ズキズキ♪
その断層露頭を目の前にしていましたが残念、時間がないということで近くまで行くことはできませんでしたが、こんなふうに地球の営みの(文字通り)断面を目の当たりにできる場所をつくってくれているというのが素敵すぎます💓
ハイ!大好物です(笑)いい言葉ですね、“がけは、地球の窓” もっと覗いてみたい💓
すこし雨交じりの空になりましたが、大崩れすることもなく楽しくパーク内を散策できました。このあとはまたまた “世界ジオパーク” を体感できる施設!

④ フォッサマグナミュージアム

フォッサマグナミュージアムは、石の博物館です。「ヒスイ」や「フォッサマグナ」などを中心に、鉱物・岩石・化石や、日本列島の成り立ちなどについて学べる施設です。
この石の殿堂に関して語ろうとすると、なにから話していいのかわからなくなります。それだけ展示の内容が濃すぎて目移りしてしまいます。
もちろんここも過去に2回訪れていますが、いつも思うのは、“次こそ一人できてじっくり丸一日過ごしたい!“ です。ホントにそれだけの価値あります!さすが世界ジオパークの先輩!
残念ながらここも時間の都合で30分しか滞在が許されませんでした(悲シイ)が、急いで駆け巡った管内のなかでやはり足が止まってしまうのはこの「第6展示室」
日本はもちろん、世界各地のさまざまな鉱物が展示してあって、その美しさ、煌めきに魅了されます。

現場見学を終えて

いつもわくわくさせてくれる現場研修会。今回はあの“ユネスコ世界ジオパーク“ のある糸魚川へ行けるということで期待も一層でした。が、終わって見れば、むしろ全くのノーマークだった“MATSUMOTO SABO” がこんなにもそそられるものだったとは・・。どこも印象深いのですが「浦川スーパー砂防堰堤」と「葛葉山腹工」は、そもそも大崩壊を引き起こした時点にまで遡り、事実を知りたいという思いに囚われ検索にかなりの時間を掛けてしまいました。構造物(堰堤など)は入口であって、自分が本当に知りたいのはそこにある人の営みなのだな、と気づかされます。そして過去といえば、フォッサマグナパークやミュージアムで悠久の “とき” を感じることができる、これは “浪漫” です(笑)。
来年は、今回見た景色の幾つかをまたなぞってみたいと思いました。
貴重な体験をさせていただき、ありがとうございました<(_ _)>
手取川源流域調査 現場研修♪~2023.8.24~25
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