伝統の灯は消さない~“加藤手織牛首つむぎ”新たな挑戦♪

山と雪のエリア 【白山市桑島地区】
白山手取川ジオパーク「水の旅案内人 “pochi”」です。

今回は、白峰にある【加藤手織牛首つむぎ】さんの工房を訪ねました♪

伝統工芸とジオパークのなるほど…な繋がり、考えてみたいと思います。

白山市桑島地区に架かる桑島大橋(写真は工房側から撮影)

国道157号線を福井方面へ、トンネルを幾つも抜けると見えてくる桑島大橋、ここを渡るとすぐに加藤さんの工房が見えてきます。大駐車場に車を止め外に出ると…

カタン カタン カタン カタン カタン ・・・♪

木と木が反発する乾いた響き、脈打つようなリズム…これは、機を織る音

目次

牛首紬ってどんなもの?

牛首紬(うしくびつむぎ)は、白山市白峰地区でつくられる紬織物です。

釘にひっかけても破れないくらい丈夫であることから“釘抜き紬(くぎぬきつむぎ)”ともいわれ、昔は普段着としても広く使用されてきました。普段着とはいっても、素材は絹です。絹糸を作るためには蚕が必要。

養蚕は、高度成長以前、白山麓の主要な産業のひとつで、出荷できない繭から糸を紡ぎ、高機(たかはた)を使って手作業で織り上げていました。それが旧白峰村に代々伝わる伝統工芸の牛首紬です。

その技術は、石川県の無形文化財に指定されています。

加藤手織牛首紬さんは、現在2つしかない牛首紬制作工房のひとつ。

昭和53年、手取川ダム建設に伴って現在の場所に移り住みました。

「手機(てばた)」の彫りが光ります。現在の社名は「加藤手織牛首つむぎ」です。「手織り」にこだわってつくっているのはここだけです。

代表の加藤さんにエスコートしてもらい、さっそく作業工程を見学です♪

“加藤手織牛首つむぎ”工房で作業現場を見学

まず初めに、繭ありき♪ これは牛首紬で使われる繭玉、違いが判りますか?

斜めから撮ったためわかりにくいですが、手前がふつうの繭、奥が「玉繭」といわれる繭です。玉繭は2匹の蚕が共同で作った繭なので大きいです。ネップ(節)が出てしまい、それが「くず繭」とされるため、通常は市場には出ませんが、牛首紬はむしろそれを持ち味としています。

① のべひき 

作業場に入った瞬間、ふわっと柔らかい空気に包まれました♪ 戸外とは湿度も温度も違う(上昇)ことが肌感覚でわかります。2人の職人さんが、「のべひき」という作業をしていました。鍋、熱湯、ふやけた繭、蛹・・生の迫力に引きこまれます。

高温の鍋の中にあるのは生糸の元になる「繭玉」です。これを煮て、柔らかくなったら糸の端っこを引き出して撚り合わせていきます。

一本の糸を作るのに要する繭は、60~80個! どうりで見にくいはず…焦点を合わせるのが大変💦

お二人の手さばき、指さばきが、早すぎて、巧みすぎてガン見♪ もうもうと立ち上る湯気は、鍋のお湯がかなりの高温であることを意味します。

で、思わず聞いてしまいました。「熱くないですか?」(職人さん笑い) 愚問でしたね💦「熱い」に決まってます。でも慣れてしまえるところが凄い!

座って繭から糸をたぐることを「座繰り」といいます。これが明治時代から使われている「座繰り製糸機」手と足を使って、のべ枠(中央にあるやつ)に糸を巻き取っていきます。糸の太さを一定に保つのがむずかしいらしく、まさに職人技!

のべひきをしているMさん、気さくでじつに朗らかな女性♪ 話してて気になったのがマスクのしたのすっぴん⁈ 上半分だけでもわかります、うるうる質感♪ 秘密は繭を煮た鍋の中の液体にありました。ここにはお肌スベスベ成分のたんぱく質が溶けだしているそうです。セリシン といってアトピーにも効く優れものなのだとか…きれいの訳は繭玉にあり!これ、かなり羨ましかったー♪
② 管巻き 

次の行程は「管巻き」 のべ枠から管に巻き取る作業です。

これが菅巻器。なんか昔のミシンのようにも見えたり💦 もはや骨董品⁈

「UNOTEK*KOJOCO」英字はこれを作った会社の社名でしょうか。この機械はもう作られることはないそうです。大事に使われています。

管に巻き取られた状態の糸。まだゴワっとして指に滑らか、とは言い難い段階。

 のべつむぎ 

管から引き出した糸にゆるく「より」をかけながら大枠に巻き取って「かせ」を作る作業。

かせというのは、一定の大きさの枠に糸を巻いて束にしてあるもの(輪っかの状態)のことです。経糸(タテイト)約2,400m、緯糸(ヨコイト)約3,000mが1かせ(束)。

撚糸機は八丁式というものだそうです。これも骨董品⁈

 糸を練る(精錬) 

タンパク質のセリシンを取り除くために、煮溶かして、水で洗い流す作業をここでします。

温度管理が大変だそうです。石鹸は植物由来のものを使い、工業石鹸は使わないのだそうです。

 糸はたき 

糸をはたいて、1本1本の糸に空気を吹き込む作業をここでします。正面の横棒に巻き付けて、しゃくるようにはたきます。工程の間に何度も行うことで、ふんわり感がでるそうです。

 糊付け 

経糸は織り機にかけたとき「うわそ」「したそ」に分けてかみ合います。その間を通る緯糸が滑らかにおさまるためにする糊付作業。

といわれても、この段階ではまだ想像ができない私…💦 糊の原料は米粉だそうです。

 かせしぼり 

糊付けされた糸を「かせしぼり器」で、まんべんなく糊を絞り取る作業。

で…

ここから先は2階の作業場に移ります。入口に置いてあった繭と糸いろいろ

工程によってこんなにも質感が違うのですねぇ♪

 かせくり 

かせを「ぜんまい機」にかけて小枠に巻き取る工程です。

糸がだいぶ白くなってきましたね♪ 触るとふわっと感がありました。でも巻き取りはまだまだ終わりません。

 整経 

経糸を巻き取った枠を、作成する織物の幅に合わせて整経台の大枠に巻き取っていきます。

 管巻き 

「ぜんまい機」で小枠に繰り上げてある緯糸を、織機にかけるため小さな管に巻き取ります。以前は1本づつ手で巻いていましたが、現在は管巻き機を使って一度に12本まで巻き取ることが出来ます。

ひとつひとつが細かな作業の連続なので、女性のしなやかな指が合っていそう♪ 加藤さんも同意見らしく、仕事に興味がおありなら、ぜひ女性のかたに来てほしいとのことでした。

 機織 

高機(たかはた)と呼ばれる織機を使います。足踏みによって「へ」に通した縦糸が「うわそ」「したそ」にわかれます。その中を緯糸を巻いた管を差し込んだ「ひ」を飛ばします。一回飛ぶごとに左手で握った「かまち」で打ち込みます。両手両足の力配分とタイミングが大事!

「へ」とか「ひ」とか「かまち」が何なのかは、動画をみるとわかってもらえるかと…

やっぱり機織りは、女性が絵になりますね♪ 日本昔話(鶴の恩返し)を思い出しました。

工程にも、それぞれ欠くことができない理由があり、上質な織物に仕上げるため費やす時間と手間が、大変重要な意味を持つのだということもわかります。

全ての工程を体感できたわけではありません💦 不足の部分は(②管巻き、④糸を練ったり、⑤はたいたり、⑥糊付けしたり、⑦絞ったり、⑨整経する)加藤手織牛首つむぎさんのホームページでご覧ください。

加藤手織牛首つむぎ/作業工程

◆ 伝統を裏切らない確かな品質 

こうしてできた“加藤手織牛首つむぎ”は、白生地の反物として完成します。染色は後染めです。二頭の蚕が作り出した玉繭独特の小節が浮き立つ表面の美しさ、紬織物と絹織物の両面を秘めた織り味と光沢、優れた保温、吸湿、通気性、軽くてなじみよい着やすさが特長です。

牛首紬は、1988年(昭和63年)に国の伝統的工芸品に指定されています。​

◆ 加藤手織牛首紬5代目/加藤治氏と奥さま 

今回、ご案内してくださった代表の加藤治さんと奥さまです。笑顔が人柄を物語る♪とても素敵なご夫婦💓

※ 工房で写真を撮り忘れてしまったので、別日に撮らせていただいたものをアップさせていただきました💦 

工房で働いている女性5名は、地元の方(40代が中心)らしく、私が直接聞いた方は“お嫁さん”に来られた方たちばかり。きっかけは、「働く(居)場所があったから」職人になりたかったわけでなくても、今この瞬間、ただ一心に糸を引き、ただ一心に機を織る姿は、菩薩さまのように静かに美しい♪ 伝統工芸には、こうした女性のチカラが大いに活かされています。

 

次に、ジオ的な見解も含めて深掘りしていきましょう。

機織りと白山麓の関係

◆ 牛首紬(=養蚕業)が栄えたわけ 

機織りの技術は、平安時代に源氏の落人の妻が伝えたとされています。

1,500年代から養蚕、織物といった記述が現れることからも、桑島地区と絹織物の歴史は長いようです。明治になると、殖産興業政策の勢いにも乗り、明治24年には、収繭量が最大になり、養蚕農家は白峰全戸数の8割にもなりました。

なぜこれほど大きな産業になったのか、そこには「桑」「雪」「河岸段丘」の存在がありました。

山間地域の河岸段丘で、稲作ができるような平地が少なく、農地を求めて周辺の山の斜面を開墾し、焼畑や炭焼きなど、冬期以外を山中で暮らす「出作り」が発達しました。桑も畑での栽培が可能で、養蚕ができる環境が整ったといえます。養蚕は、豪雪で身動きがとれなくなる冬期、村の安定収入になり、機織もまた家業(マニュファクチュア)とするものが多くありました。

つまり、この土地(ジオ)ならではの、自然界の制約があったからこそ生み出された、生活文化と云えるのではないでしょうか

◆ 衰退 

昭和に入り、戦争の重圧が、牛首紬存続の運命をも変えていきます。

大正から昭和にかけて、桑島集落には100台を数える織機があって、牛首紬は一大産業でしたが、戦争中の規制と食糧増産のため、桑畑は姿を消し、蚕ではなく、私たちの胃袋を満たすための畑に変わりました。原糸がなければ紬は作れません。

家業をたたむ人たちが増える中、加藤三治郎(加藤手織牛首つむぎ3代目当主/加藤さんのおじいさま)さん一家が、自家養蚕によって原糸を生産し、牛首紬の伝統を今に引き継いだのです。

伝統を守るということ

◆ 加藤志ゅんさんの功績 

加藤さんの祖母「加藤志ゅん」さんは、1,976年、牛首紬の伝統技術者として「黄綬褒章」を授与されました。

◆ 加藤改石氏の功績 

加藤さんのお父さま「加藤改石」さんは、2,000年に「きもの文化賞」を授かるなど、長年、牛首紬の伝統製法をを守り育ててこられました。

伝統工芸、イコール「職人の技」といったハレの部分ばかりに目が行きがちですが、気づかされたことがあります。経営として成り立たせることの難しさです。加藤さんの工房で働いているのは、職人さんの他に、奥さまと息子さんを加えて、現在は8名ということです。

今回、見てきたように、昔ながらの道具を使い、品質を保ちつつ、昔ながらの製法でつくる(家内制手工業)というのは、手間と時間がかかります。それは、イコール経費がかかるということです。この先も、持続可能な工房で在り続けるためには、反物(素地)を販売しているだけでは、正直心もとないです。時代のニーズも取り入れた魅力ある商品を創造していけたら…。

牛首紬に新しい命を吹き込む~挑戦!

そこで立ち上がったのが、手織牛首紬を使った新商品開発プロジェクトでした。

◆ がま口モニターツアー 

これは「牛首紬」でつくった「がま口」です!4月に行われた試作品のモニターツアーでは、おしゃれを愛する女性参加者の声が飛び交いました♪

(牛首紬は)いいものだとわかっていても、やっぱり高嶺の花、と思いきや、手ごろな値段で手に入る。それもお洒落なポーチに形を変えて!

どーです?後染めが醸す柔らかな気品にぐっときませんか♪ 和にも洋にも映える「使える」伝統工芸品。こういうの、待たれていた気がします♪

◆ がま口新作商品発表会 

そうして改良を重ねた新商品の発表会も行われました。

白生地をひとつひとつ、ぼかし染めで仕上げた世界にたった一つの「がま口」です!

加藤さんの講演も行われました。

発表会は、コロナ禍で何度か延期になりました。そうして辿り着いたハレの舞台でした。この日を待ちわびていたファンの方々が大勢お見えになり、がま口やマスクをひとつふたつとお買い上げくださいました♪

インターネットでのご注文は、こちらからどうぞ♪

加藤手織牛首つむぎ オンラインショップ

◆ 今は昔の…山桑の葉 

これは、工房のそばにある「山桑」の葉です。

この葉が、白峰の養蚕を支えてきました。

目の前には牛首川(冒頭の写真)が流れています。ダムができる前、加藤さんの家(兼工房)は、この川の少し下流にありました。周囲には、山桑がたくさん植わっていたそうです。雪の重みで深く垂れさがった枝から葉を採ることは、子どもだった加藤少年でも容易だったといいます。

今、一本だけ残る山桑の木 (なんだか象徴的、絶滅危惧種に見えてくるw)

ジオ(大地)は、人を選びません。選ぶのはいつも人間の方です。狩猟をしていた頃は住みやすかったでしょう。この地を選んだご先祖さまは、暮らしやすくなるよう知恵をしぼった。あるものを活かし、逆境には抗わず、自然と共生してきた。

その中で生まれた伝統の技。一人で背負うには大きな遺産かもしれない。でも勝手だけど言いたい。加藤さん、ガンバッテクダサイ♪ 手織りの伝統を守り育てていかれること、応援しています♪

ありがとうございました。

10月某日/赤い桑島大橋を下流からのぞむ

地図・アクセスなど

石川県白山市白峰の伝統工芸品である牛首紬を全工程手作りしている工房です。

名称加藤手織牛首つむぎ
住所〒920-2502 石川県桑島イ1番地26
電話番号076-259-2736
駐車場有り
関連リンク加藤手織牛首つむぎ

 

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